論文投稿はつらい
皆さんこんにちは!先日、学術論文を査読したことから、元研究者の回顧録を今回はお届けしたいと思います。
論文投稿は非常にストレスのかかるハードワークです。特に、初めて論文を書く博士課程の学生さんにとっては、右も左もわからず、人に聞きながらであったり、慣れない英語の投稿サイトをよく見たりと、気が重くなってしまいますよね。一方で、学位(博士号)を得るためには、大学院によって異なりますが3~5報査読付きの論文に掲載されるというのが暗黙の了解となっています。そこで、論文投稿に挑んでいる学生さん向けに、今回は私が論文投稿でつらかったことを思い出しながら、具体的な対応についてお届けします。
論文投稿方法の変化
私が博士課程の学生で、学位取得のために論文を書いていた2000年代初めは、まだ、論文は紙で印刷したものを3部コピーして郵送するという時代でした。ですので、エディターの先生の国によっては、本当に届いたかどうか不安に駆られて、連絡して確認するかどうか悩んだものです。
また、悪いことが重なりアメリカの先生に郵送するときに炭疽菌事件がアメリカで発生し、郵便が届いたかどうか?郵送に通常よりも時間がかかるという社会事件もあり、なかなか心が落ち着かず、EMS(国際郵便)の履歴を何度も見ていたという記憶があります。
それが卒業する直前くらいに電子投稿へシフトしてきました。ですので、私は学生時代に電子投稿をしたことはありませんでした。
そして、卒業から約20年後くらい経過した段階で、論文投稿を再び行うこととなったときには、サイトから投稿するシステムが完備されており、非常に利便性が高いだけでなく、審査のステータスまで確認できるという素晴らしい進歩。査読も早く、今の学生さんはその点においては恵まれていると思いますよ。逆につらい部分もあるかもしれませんが…
学生時代の投稿論文
博士課程後期(いわゆるドクターコース)の学生時代、私は査読付き論文を3報出すことが出来ました。しかし、実はリジェクトを3回されました。その際は、それぞれの時期もありましたが、人生の終わりを感じるくらいつらかったのを覚えています。
最初の投稿
博士課程後期2年(D2)の終わりに最初の投稿を行いました。最初の投稿ということで、国内の学会誌(ただし、英語の論文誌)に投稿。比較的査読は早く3ヶ月くらいでリジェクトの連絡。
査読者からのコメントは、さんざんで、エディターの先生からは投稿論文の書式を守っていない的なお叱りを受けたのを覚えています。
ちなみに、私の指導教官はリジェクトされても自分で学びながら投稿を繰り返せというスタンスです。
実はこれは経験の全くない学生にはつらいの極みです。
ですが、最初の投稿については、その後、査読者のコメントをもとに実験を追加し、構成等を書き直し、別雑誌(国内の別の学会誌)に投稿。
3か月くらい後にアクセプトの連絡がありました。おそらく博士課程後期3年(D3)の初めくらいでした。
この時は、最初リジェクトされてつらかったのですが、D3初めに1報アクセプトされたので精神的に余裕がありました。
2報目の投稿
D3の6月くらい、書いた2報目を投稿。今度は、少し格式高い雑誌へ。こちらはアジアは日本人の先生がエディターだったので、そちらに郵送。
今思えば明らかにこの論文の出来は悪く、今の投稿システムであれば翌日にはエディター判断でリジェクトされるレベルなのですが、当時は査読者に回っています。
3か月後、夏休みくらいに査読結果が郵便で届きました。
結果は当然「リジェクト」。明らかに論文の論理構成が不十分で、査読者のコメントでも著者らの主張が明確ではなく、新規性、独創性が全くないと酷評されてしましました。
これはかなりきつかったのを覚えています。結構一生懸命書いたつもりだったのですが、英語の文法などに囚われて結局何が言いたいのか?が上手く表現できていなかったのが一番の問題でしたが、当時の私はそんなことにも気づかず、放心状態。
指導教官は「書き直して別の雑誌に投稿しよう」、「別の先生に論文指導は頼んでおいたから」と言われ、また、あの苦労をするのかという気持ちと指導教官から見放されたというダブルショックでした。
D3の9月に論文1報の状態で、オーバー(D4)が近づいてくる恐怖を感じていました。
指導教官の共同研究者の先生に教えてもらいながら、論文を書き直し、投稿したのが10月ぐらい。今度は雑誌のレベルを落とし、アメリカのエディターの先生にこれまた郵送。ここから、年末にかけて連絡待ちの状態になり、精神的にはかなり追い込まれました。この時期、炭疽菌事件が発生し、911テロとも相まって、郵便がちゃんと届くのか?不安しかありませんでした。
これまた3ヶ月程度のちに、結果がマイナーリビジョンというかコメント程度で帰ってきたため、丁寧に対応して再投稿したのが年末。年明け、1月くらいにアクセプトの連絡がありました。
実は、この間にドクターの審査に論文を使いたいから、早めに連絡が欲しいと、エディターの先生にメールで連絡を入れたところ、アクセプトだよという連絡があったので、急かした効果だったのかもしれません。
指導教官曰く「学位の審査に使うというのは雑誌にとっても名誉なことなので言って損はない」とのことでした。
でも、経験のない学生には緊張の連続ですよね。というわけで2報目も無事アクセプトされました。しかし、実は投稿したのは2報目だったのですが、これが3報目のアクセプトされた論文でした。
ちなみに、引用もこの論文が学生時代に書いた論文では一番多くされており、この論文を書いたのをきっかけに論文とは何を主張するか?ディスカッションでの文献の引用のやり方などを学びました。(この時は結局独学)
3報目の論文
2報目がリジェクトされる前に3報目の論文作成はほぼ出来上がっていました。ちなみに、3報目についてはかなりグレーな方法で投稿しています。
その投稿方法としては、3報目については内容を前半部分をレター(速報で短い)として投稿し、一式を別の雑誌にフルペーパーとして投稿するという荒業でした。指導教官の先生も、「念のためわけで出して、もし、両方通ったらどうするか考えましょう」と倫理的にはかなりまずいと思いましたが、1粒で2度おいしい的な投稿をしてみました。
これがD3の11月くらいのこと。就職先(今の会社)も決まっていたので、つらさ最大で、心が落ち着くことはなく、ストレス最大の日々でした。
結果は比較的早く帰ってきて、レーターはまさかの一発アクセプトの連絡。そのまま掲載へ。
一方で、フルぺーバーは「リジェクト」。査読者のコメントはそこまで辛辣ではなく、雑誌の趣旨に合っていないとのコメントでした。
というわけで、二重投稿に近いリスクを負って、何とかレターがアクセプトされたのが12月ぐらい。
D3の12月末で2報アクセプトされ、1報審査待ちということで何とか体裁が整ってきてD3の1月を迎えることとなりました。その後、前述の2報目がアクセプトされ、何とか論文数はそろい学位の審査にかけられ、無事に学位をえることが出来た次第です。
学生時代の論文投稿の反省点
経験値の低い学生時代を振り返ると、反省点は以下です
- 論文の論理構成をよく理解せずに書いていた
- 指導教官や学生間でのディスカッション不足→論理構成を補強できなかった
- 投稿する雑誌に関する研究不足
- 英語の正しさを重視しすぎで内容を軽視
- 論文をどう書くかを考えながら実験していなかった
学生時代は、学位取得まで3年という限られた時間となりますので、雑誌選びや時間管理が本当は重要だったんだと思います。結果的にはうまく乗り切り、学位取得が出しました。
指導教官からも「危なかったけど、何とかうまくいったね」的なことを言われました。
また、論文がリジェクトされたとき、学位が取れそうになかったら就職する会社に伝えたほうがいいでしょうか?と指導教官に聞いた際には「ぎりぎりまで言わなくていいですよ。企業側は雇う準備をしているんだから、学位は後でも取れるから」と、今思えば真っ当なことを言われたのを記憶しています。私は正直に会社に伝えてしまうところでした。←それは、会社側もただ困るだけです。実際に学位が取れずに中退で入社してくる社員もいますしね。
論文作成中の心の支え
論文を書いていて、心がつらくなることは多々ありましたが、学生時代は気持ちを共感できるマンガとして、佐々木倫子さん著の「動物のお医者さん」を読んで、心を落ち着かせていました。かなり古いのですが有名なマンガですのでご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、獣医学部の学生を中心としたマンガです。その中で、主人公の先輩として出てくる菱沼さんというドクターコースの先輩が論文を書かなくてはいけないという話があります。その話を何度読み返し、心を落ち着けたことか…英語のコミュニケーションの辛さや、エディターの先生に連絡するかどうか?、論文を3報書かなくてはいけないという点など当時の自分と重なっており、菱沼さんも学位が取れたんだから、頑張って論文に取り組んているんだから、とリジェクトに合っても心の支えとしていました。
今もマンガは売っているみたいなので、もし、心の支えが欲しければ、下の広告リンクからご購入いただければと思います。旧版の8巻に収録されていた話だったと思いますので、新装版が8月30日発売です。
こちらのリンクは、全巻セット。菱沼さんの話はドクターコースの学生共通の面白さがありますので、共感できますよ!お勧めです。
学生時代の話が長くなってしまいましたので、今回はここまで。次回は社会人時代の論文投稿についてお届けしたいと思います。この記事が役に立ったと思った方はコメントやシェアをお願いします!