学術論文を査読する(前編)

研究生活

皆さんこんにちは!今回の記事は、私の専門分野で頼まれた論文の査読を通して、博士課程の学生さんや若手研究者の役に立つ情報と気づきがありましたので、共有したいと思います。

学術論文を書く機会がある博士課程の学生さんや論文を投稿しなければならない若手研究者の皆さんの役に立てれば幸いです。

論文の査読について

以前は、研究職で企業に勤めており、狭い分野ではありますが、かなり専門的な研究領域でそれなりの成果を継続的に出していました。企業の研究員でしたが、国際会議などでの学会発表や共同研究を行っていた先生と共著で論文投稿。研究職から異動となる直前には、勤めている会社の独自研究で論文を投稿し、掲載されました。論文をある程度出すと、近い領域の研究分野の国内外の研究者から指名され編集者から論文の査読依頼が来ることがあります。

ちなみに、私のこれまでの論文数は7報。博士課程で出した論文3報、会社で研究員をしていたときに4報出しています。その4報のうち、2報は共同研究していた先生に投稿してもらったもの、2報は比較的最近に会社単独で投稿するにあたり、私が書いたものとなります。ちなみに私のh-indexは7。h-indexというのは、論文数もしくは被引用数の大きい方を取りますので、これまでに掲載されている論文はいずれもそれなりに評価されているようです。もし、そのまま研究職を続けられることが出来れば、h-indexが少なくとも10は超えたかもしれません。人生で「もし…」と言い出すときりがなくなってしまいますので、h-indexを二桁まで上げたいなら、本気で転職するしかなさそうです。

本題に戻りますが、論文の査読はボランティアであり、企業の研究員としては得るものが少ないかもしれませんが、自分がその領域で一定の価値を認められたという証明でもあるので個人的にはよほど時間が取れない場合を除き、受けることとしています。ちなみに今回は、インド出張中に依頼が来ていましたが、受けることとしました。

論文を査読した結果

私の論文審査の基本スタンスは、「リジェクト(掲載不可)は基本的に回避する」です。どんな審査中の論文でも必ず新しいことや多くの人に気付きを与えることが出来るという考えに基づきます。よほど「皆が知っている内容しかない」、「研究の前提が大きく間違っている」ということがない限りは、掲載できるポイントを探して、その旨を記載して、「メジャーリビジョン(大幅改定を要する)」もしくは「マイナーリビジョン(軽微な改定を要する)」にとどめます。

しかし、今回の査読結果は、「リジェクト」としました。守秘義務がありますので詳細は、記載できないのですが、前述の「研究の前提が大きく間違っている」ということが判断の基となっています。しかし、論文には丁寧に実施された実験結果が豊富に載せられており、研究者たちの苦労を思うと、非常に残念な気持ちになりました。

リジェクトを伝える文面はなるべく丁寧な文言を選び、「実験は豊富で、丁寧にされているんだけど…」といった内容で、コメントしました。よく、査読者が「厳しい」、「きつい」というような話を聞きますが、そうならないように、もう一度投稿しようという気持ちになれるようという思いで伝えたのですが…このように伝えても、「きつい」、「ハラスメント」と言われてしまうかもしれません。こちらは、ボランティアでやっているんですけどね…残念ですが、投稿者と査読者は相容れない部分がどうしてもあります。

リジェクトしたくなる論文の特徴

私は、今回に限らず、これまでにいくつかの論文を査読してきました。基本スタンスは「リジェクトは回避する」ですが、他の査読者が「リジェクトだ!」と強く主張した場合、エディター(その分野で権威のある先生)が決断することとなります。私はそんな権威のある研究者ではありませんので、エディターを経験することはあり得ませんが、おそらくエディターの先生は雑誌社から「もっと多く論文を掲載したい」、「論文の質が下がっているから慎重に検討して」的なことをたくさん言われているのだと思います。他の査読者とも共通ですが、リジェクトされる論文の共通点は、以下です

  • その論文で主張したいポイントが不明瞭(何を言いたいかわからない)
  • 実験データ、結果が不十分
  • ディスカッションの根拠(リザルトとの関係)が不明確
  • 引用している文献から何を言いたいかわからない

論文は、本来であれば研究目的(知りたいこと、できるようにすること)に対して、仮説を立てて、実験に基づく検証を行い、その結果をよく解釈したうえで、目的が達成できたか?というプロセスで研究した結果をまとめたものであるはずなのです。

しかし、研究が当初の計画通りうまく進展するケースは、ほとんどないと思います。ですから、化学分野に限った話かもしれませんが、実験結果がベースとなり、目的に対する仮説を後からそれっぽく論文に書くことが多くなります。このプロセス、論文構成の再構築が、しっかりとできていないとリジェクトが近づいてしまします。また、構成を再構築する過程で、使えるデータがいきなり減るケースも散見され、よさそうなのに弱いという理由でリジェクトされる場合もあります。

論文指導の問題点?

私は海外で学生生活をしたことがなく、共同研究していた外国の教授がどのように自分の学生に論文指導していたかは知らないのですが、日本の大学教授は根っからの研究者肌の方が多く、自分の経験も含め、論文指導が不十分な場合が多いです。

そもそも論文作成前の準備が不十分なまま書き始めている

失礼な言い方かもしれませんが、論文指導が不十分な先生の特徴として、他の人がやっていないことをやれば安泰という気持ちが強いようです。他の人がやっていないのだから、世界初の結果が得られるという感覚で実験を開始したが、進めていくと激戦地で研究していたケース。そうなると、実験の新規性をどう出すか?論文の構成を再考する必要があります。しかし、残念ながら、さらに他の人がやっていない実験をすればいいという謎の指導が入ったりするため、筋道がよく見えない研究をしてしまい論文が出来てしまうようです。

同様の残念な研究として修士課程の学生さんの学会発表では非常によく見ることとなります。実際に研究内容において実験結果より、何が得られたかを伝えることが大事ということに気付いたのは、私の場合も博士課程を修了し、学位を取る直前だったような気がします。それまでは、指導教官に従順に従い、疑うことをしてきませんでした。私の場合、ドクターコースの修了間際に手に取った書籍をきっかけに研究に対する考え方を改めて意識することが出来ました。

ずいぶん昔の書籍でしたが改定もされているようです。これは非常に役に立ちますので、論文を書いて、これから研究者を目指すのであれば必読書です。以下の広告リンクからご確認、ご購入をお勧めします。

英語の指導に力点を置いてしまう先生が多い

日本人はやはり日本語が母国語であるため、英語で文書を書くとなると文法が正しいか?その単語、動詞が適切か?等、一生懸命調べさせられます。その結果、投稿前に修正が何度も行われ、もはや原型がないくらいの英文になります。最近は、少し変わってきて「英文法とかわからんから、グーグル翻訳でいいよ」という先生もいるようです。

ちなみに、20年以上前の私が学生の頃には、英語で論文を書く際には「関連分野の論文をたくさん読んで、借文しなさい」と言われたものです。構文などについては、読んだことがある論文からそのまま引っ張ってくるという感じで書いていました。論文の盗用が問題となった後とはかなり考え方が異なりますよね。私が最後に書いた論文では、英文を書いて、グーグル翻訳で日本語訳をして意味を確認しながら、書いていきました。地道な作業になりますが、私の場合はこれが一番いいようで、英文でメールする際もこの手法を使っています。

ディスカッションで関連研究を引用するのが苦手

日本のアカデミアでは、○○派みたいなのが今でも根強く残っており、結果を考察する際に、嫌いな先生の研究結果、考察を引用するのを嫌う先生が意外と多いです。企業の研究者であった私からするとそのような不必要なプライドを捨てれば、もっと楽にディスカッション部分が書けるのにという気がしますし、そもそも、「他の人がこう言っているから、この結果も・・・」、「他の人はこう言っているけど、今回の結果とは・・・」みたいなディスカッションをすることは、あまり好きではなく、自己完結したいという気持ちが強いようです。

論文構成において、ここのポイントにこだわってしまうとディスカッション部分が薄く、掲載が難しくなってしまいます。中国人研究者や日本の先生でも論文を増産している方はこのあたりのところをうまく引用しています。

では、アクセプト(掲載)されやすい(リジェクトされにくい)論文とはどのようなものか?後編で紹介したいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。コメントや質問等ありましたらお願いします。次回の後編をお楽しみに!